塔尾陵(とうのおのみささぎ)

塔尾陵(とうのおのみささぎ)"

大塔宮護良親王の死後、後醍醐天皇は建武の中興を果たします。しかしそれも束の間の夢と破れた後醍醐天皇は、延元元年(1336)京都花山院をのがれて吉野山に身を寄せ、その後も吉野山にいて吉野行宮(よしのあんぐう:奈良県吉野郡吉野町・南朝)を起こしますが、延元4年(1339年)8月16日、皇位を後村上天皇に譲った後、52歳でこの世を去ります。後醍醐天皇が病の床に伏されたとき次のような歌を詠まれています。
「身はたとへ南山の苔に埋むるとも魂魄は常に北闕の天を望 まん」 と詠み都を憧れつつ、吉野金輪王寺でついに崩御されたそうです。
後醍醐天皇の遺骸は後醍醐天皇が勅願所とされていた如意輪寺の裏山、塔の尾へ埋葬され、後醍醐天皇のごいしどおり、京都に対する願いを表すために、天皇家の墓陵としては唯一北向きとなっており、「北面の御陵」として有名です。この如意輪寺の裏山には、後醍醐天皇の孫に当たる長慶天皇、その皇子の「世泰親王」が一緒に葬られています。後醍醐陵の手前右手にあります。この御陵は、今も、宮内庁が管理されています。

墓陵は円墳の塔尾陵(とうのおのみささぎ)と呼ばれる

御陵宮内庁看板

後醍醐天皇塔尾陵・長慶天皇皇子世泰親王墓の名が刻まれています

墓陵への階段

墓陵への階段と宮内庁の建物

御陵階段

この階段のうえに後醍醐天皇陵があります。階段の足下には、足下にお気をつけくださいの看板がみえます、落ち葉の多いこの季節でも、とてもきれいに掃除がされていて、驚きました。

階段を振り向く

階段の上にあがり振り向くと下に見える階段が「世泰親王墓」への階段です。その向こうが如意輪堂の裏側で、このすみに、芭蕉の句碑があります。

墓陵正面

ここが後醍醐天皇塔尾陵です。

後醍醐天皇塔尾陵

長慶天皇皇子世泰親王墓

宮内庁管理を表す標識

この上に後醍醐天皇の孫に当たる長慶天皇。その皇子の「世泰親王墓」があります

「世泰親王墓」

世泰親王墓

「世泰親王墓」

寄ってみますと、「世泰親王墓」の文字がみえます。

多宝塔をのぞむ

「世泰親王墓」から振り返ると多宝塔をのぞむことが出来ます。おおよそこの方向が北の方向だそうです。



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